街娼・白線をテーマにした史料、中村三郎『白線の女』
・編者:中村 三郎
・解説:檀原 照和
・復刻編集:渡辺 豪
・発行:カストリ出版
・仕様:A5判 / 164ページ / 並製
戦後、色街の担い手は、遊郭(貸座敷免許地)からいわゆる赤線(特殊飲食店街)へとその姿形を変えた。
警察の管理が及ぶ赤線でもなく、青線を含む居稼ぎ型の形態にすら属さず、街頭で客を引く或いは輪タクと行った仲介業者を介してドヤ(安宿)へ遊客し売笑を営む〝白線の女〟の横溢は、戦後という極めて短い時間に、文字通り堰を切ったように街へ溢れ出した。隠れて売笑を営む女は戦前にも存在したが、それとは比べものにならないスケールであった。
その背景には戦後の絶望的な食糧難、男手に偏った仕事不足、乱倫とも云われた新しい価値観(俗にアプレゲール)、戦争未亡人の急増があった。
戦後売春史の主役が赤線であるならば、〝街娼〟はもう一つの徒花。戦後売春史の視点が〝赤線〟のみに偏ってしまっては、非常に狭いものにならざるを得ない。
戦後売春史のキーマン、中村三郎
当著の著者は風俗研究家、中村三郎(1894〜1958)。江戸文化の風俗研究家、三田村鳶魚に師事し、『日本売春史』(1954)、『日本売春社会史』(1958)を残している。中村の調査スタイルは徹底した現場主義。戦後のカストリ雑誌にて吉原・新宿・洲崎など都内を代表する赤線地帯の女給を集めて座談会を実施し、都内に留まらず日本全国の色街で実地に聴き取り調査を行う。戦後の売春史においては、まだまだ無名に近い謎の多い人物だが、戦後売春史のキーマンになり得る人物。
同じく戦後の色街の有様を記した『全国女性街ガイド』の著者、渡辺寛は文筆業からスタートしたのち日経新聞の記者となった経歴の持ち主であり、渡辺がややロマンチズム、エッセイめいた筆の運びを帯びている点からすれば、中村三郎はフォークロアとしてアカデミック寄りのアプローチを用いて戦後売春に迫った人物といえる。奇しくも中村も都新聞(東京新聞の前身)の編集者のキャリアの持ち主。
渡辺寛と中村三郎、戦後売春史を二人の視点からどう異なって見えたのか。見比べてみるのも面白い。
戦後が匂い立つ女たちの声
今回の復刻史料『白線の女』は、聴き書きの体裁となっており、女たちの生の声が聞こえてくる。・七才でサーカスに売られた私
・九才で芸者屋に売られて
・妊娠している売春婦
・売春は弁天業
・巡査の袖ひく盲人売春婦
・よめ入り先は売春宿
戦後主義(アプレ)、人身売買、闇市、不見転芸者、連れ込み宿…等々、タイトルから既に〝戦後〟がプンプンと匂い立つ。文体はやや当時のカストリ雑誌の影響を受けて読み物調となっている。その点では、編集の手が入った跡を感じざるを得ないが、編集側の意図や当時の出版業界の時代背景も感じさせる〝時代の証言〟。
編者、中村三郎による調査資料を付録
中村の半生に及んだ売春研究の総括ともいえる附表を完全収録。内容は「更正を主体とした特殊女性と日常生活」「特飲業態婦特種状態調査」「赤線女給調査」。それぞれの概要は以下。「更正を主体とした特殊女性と日常生活」
売春婦1760人を調査母体とした日常生活態度から見る更正意欲の調査。調査結果を「自力更生可能な者」、「指導により構成可能な者」、「救い難い者」の3パターンに分ける。〝救い難い〟などなかなか辛辣な表現も散見されるが、興味本位のレッテル張りではなく、中村の現場主義的な視点が垣間見える。「特飲業態婦特種状態調査」
売春婦の生活サイクル調査。特飲女給の生活を24時間サイクルで表化。月間のショートタイム客、泊り客のそれぞれの平均数。同じく月間の客数および性交数も…。「赤線女給調査」
調査対象地は・吉原
・亀有
・品川
・立石
・新小岩
・東京パレス
・洲崎
・千住
・武蔵新田
・向島(鳩の街)
・玉の井
・立川(羽衣・錦)
・八王子
・武蔵八丁
都内計16箇所、1200人もの赤線女給を対象にした調査は、民間の一研究家が赤線女給の調査としては、空前絶後の規模。アンケート項目には、「売春婦となった理由」「売春防止法が成立したら売春をやめるかどうか?」「最終学歴」など、興味深いものばかり。
当時から赤線ごとに女の特色があったと言われ、例えば当時の赤線ルポなどには「鳩の街は教育程度が高い赤線だった」と紹介されることもあった。「都内で最もインテリな赤線はどこか?」といった疑問は最終学歴率からその傾向を掴むことが可能に。掴み所のない〝特色〟といったもの定量化する調査として非常に有用。
※新宿が含まれていない理由は不明。
60年前の装幀を再現
原著は、2015年から遡ること約60年前の昭和33年に発行された。今回は発行当時の装幀を再現。先に挙げた附表を原著に倣い折り込みページとし、表紙カバー、帯に至るまで当時の想定が蘇る。帯には「狂い割く性企業」、「白線族の初夜」「アベックコース」など扇情的な文言が並ぶ。当時の出版社の思惑が興味深い。解説は〝メリーさん〟関連の著者、檀原照和氏
戦後の日本史上、最も有名な街娼と問われれば、多くの人は〝メリーさん〟※を挙げるかも知れません。今回の復刻史料の解説は、ヨコハマメリーだけでなく、横浜の娼婦史やその舞台となった横浜に造詣が深く、『消えた横浜娼婦たち』などの著作もある檀原照和氏から寄稿頂く機会に恵まれました。※壇原氏は著書『消えた横浜娼婦たち』の中で〝メリーさん〟は、あのメリーさんを指す言葉ではなく、アメリカに由来する女に広く使われる一般名詞であったこと、或いは〝外国人の妾〟の総称であったことを指摘している。
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