2017/12/10

山田憲三郎『美人の秋田』(附・秋田美人と民藝)

秋田県における戦前・戦後の貴重な花柳誌を約90年ぶりに復刻──県内の料理屋、置屋、芸者、カフェーの広告なども掲載された秋田県紅灯史に欠かせない一冊。『秋田県の遊廓跡を歩く』の著者、小松和彦が解説。





東北を代表する花街であった秋田市川反。その近郊で暮らしていた一人の文学青年によって、今から約90年前、秋田県の花柳界を扱う雑誌が刊行された。
文学青年の名は山田憲三郎。山田は新聞記者時代の経験を活かし、地元新聞人や文芸家を執筆陣に迎え、花街のガイドブックではない、読み物雑誌としての一冊を完成させた。それが『美人の秋田』である。

附録として戦後昭和28年の花柳界雑誌をカップリング

『美人の秋田』にも寄稿している小松宗司が戦後に発行した『秋田美人と民藝』。現在、どこの公立図書館にも収蔵されていない「幻の雑誌」である。川反、土崎の人気芸妓を写真入りで紹介している他、秋田の遊郭史について展望した記事などを収録している。

見どころは写真や記事の他にも

二冊とも広告を数多く掲載。料理屋、芸妓置屋、カフェーの他、秋田では誰もが知る商業施設や酒造会社なども。まさに昭和4年、昭和28年の秋田を切り取った雑誌といえよう。

稀有なクリエイター・山田憲三郎

巻末に収録した小松和彦(小松クラフトスペース)による解説では、『美人の秋田』の編集兼発行人である山田憲三郎の子孫にインタビューし、山田のひととなりについても紹介。文芸、絵画を嗜む市井の文化人、そして興行師でもあった山田の人物像を家族の証言や資料などから読み解く。

(以上の解説、小松和彦)

著者 略年表

山田憲三郎(やまだ けんざぶろう)
明治36年 秋田市柳町に生まれる。
大正10年 上京。東京日日新聞社に勤務。
大正11年 秋田市で文芸同人グループ「詩星社」創立。
昭和2年 東京日日新聞を退職。興行の世界に入る。
昭和4年 『美人の秋田』刊行。
昭和11年 市丸、小林千代子らが出演する公演の興業を手掛ける。
昭和27年 「ひかり座」の支配人となる。
昭和47年 逝去。享年69歳。

書誌情報

・著者:山田憲三郎
・仕様:B5版 / 70ページモノクロ
・原著発行:昭和4年